
※この記事では映画『ジョーカー』のネタバレを含みますので、まだ見ていない方はご注意ください!!
このブログで世界が変わる、かもしれない、の著者です。
第76回ヴェネツィア国際映画祭で最優秀作品賞にあたる金獅子賞を受賞した映画『ジョーカー』を観てきました!
いやー、僕は『ジョーカー』に関する映画を今まで見たことがなかったのですが、まあ凄かったですね。
まず、驚いたことが、この映画のストーリー性です。
僕は間違いなく本編を見る前までは、
"俺の人生は悲劇だ いや違う 喜劇だ"という予告映像のシーンで、「ジョーカーが再び仮面を被り、ゴッサムシティを笑顔溢れる街にするんだろうなー。」と勝手にハッピーエンド作ってたんですけど、
ジョーカーは人殺しまくってるし、ゴッサムシティは荒れ狂ってましたし・・・
その理由もあって、鑑賞中はジョーカーに対する”怒り”が込み上げてくるという、ただ終いには、”怒り”という一言では言い表せない何かいろんな感情が混ざり合って何とも言えないような感覚でした。
このような感情になったのは、この映画が初めてでしょう。
この記事では『ジョーカー』に対する僕の意見・感想を書いていこうと思うのですが、
まず、この映画を鑑賞した皆さんは何を想いましたか?
「かわいそうだった」「憂鬱になった」
皆さん独自の意見や感想があると思うんですけど、
僕はこの映画を通して、
”不快になった”というのが一番強かったです。
映画館から出る時は、少し吐き気というか、
それくらいヤバイ映画だった、ということなのでしょう。
それと同時に、この映画から気づきや学ぶべきことってたくさんあると思うんです。
その一部始終を皆さんと共有できたらなー、と思います。
ジョーカーになるのは必然だった?
僕は映画『ジョーカー』を見た後に、
どうすればアーサーがジョーカーになるのを阻止できたのか?
を考えてみたのですが、怖いことに何一つ解決策が見つからなかったんですよね。
もちろん、ゴッサムシティで暮らす人々がもっと他人の気持ちを考えたり、礼儀を払うようになっていたら、アーサーはジョーカーになるまでには至らなかったと思うのですが、それはアーサー、一人ではどうにもできないことです。
そう考えると、アーサーの人生は悲劇そのものだったと言えるでしょう。
アーサーへの想い
この映画を見た人はアーサーのことをおそらく”かわいそう”とか”助けてあげたい”と思って見ていた人がほとんどだと思うんですけど、
アーサーが人殺しを繰り返す中で、おそらく視聴者のアーサーに対する意見っていうのが分かれていくと思ったんですよね。
なぜなら、人殺しは絶対にしてはいけない行為だからです。
大きく分けてこの3つに分かれると思います。
⓵ アーサーが人殺しを繰り返しているのをみて、少しスッキリした。
⓶アーサーの人殺しは悪だけど、人殺しをしてしまった気持ちも分かる。
⓷アーサーは人殺しをしている時点で悪の存在であり、アーサーの悲劇が人を殺していいほどの理由にはならない。
これは僕の思うことなのですが、
⓵ ジョーカーが人殺しを繰り返しているのをみて、少しスッキリした。
⓵の考えの人はアーサーを支持する人、まさにゴッサムシティでデモを起こしている人であり、
⓶アーサーの人殺しは悪だけど、人殺しをしてしまった気持ちも分かる。
⓶の考えの人はジョーカーになる可能性のある人
⓷アーサーは人殺しをしている時点で悪の存在であり、アーサーの悲劇が人を殺していいほどの理由にはならない。
⓷の考えの人には富裕層の人が多いんじゃないかなー
と個人的には思いました。
おそらく、⓶の意見を持っている人が多いかと思います。
僕もアーサーの人生をもう一度振り返ってみると、不思議とアーサーに同情してしまう所があるので、ジョーカーになる可能性のある人です。
これは誰しもがジョーカーのような悪の存在になる可能性があるとも言えるのではないでしょうか。
「まさか僕、私が殺人なんて犯すはずがないんだから。」と心に中で思っていても、例え人殺しが罪であり、悪い事と分かっている人でも、
その罪(思い)が自分の”怒り”や”憎しみ”といった感情が上回ることで自分の中では正義になるのだ、ということ。
正義とは何か?
アーサーがウェイン産業の証券マン3人を電車の中で射殺したことで、本来は悪に染まるはずだったアーサーですが、貧困層の中ではジョーカーは正義として存在していました。
なぜ、アーサーは人殺しをしたのにも関わらず支持されたのでしょうか?
それはゴッサムシティが貧困層と富裕層との間に明らかな格差が蔓延していたからではないでしょうか。
もしも、アーサーがゴッサムシティではなくて、
日本という国でウェイン産業の証券マン3人を電車の中で射殺していたら、アーサーは誰からも支持されることなく刑務所行きだったでしょう。
これはまだ日本の貧困層と富裕層との間に明らかな格差が蔓延していないからであって、
これからの時代、世界中で貧困層と富裕層との格差がどんどん広がっていくことで、ジョーカーのような存在が現れてもおかしくない、荒れ狂うゴッサムシティのような世界が現実になるぞ!
というメッセージが込められているのかもしれません。
一方で、ゴッサムシティの富裕層からみたアーサーは悪そのものです。
なぜなら、富裕層は貧困層の世界を知らないからです。
貧困層の世界とは、貧困層を代表とするアーサーの世界であり、
発作的に笑い出すという病気を持ちながら、アーサーの母(ペニー)の介護し、チンピラから暴力を受け、市民からは冷たい目で見られ、誤解を招いて仕事をクビに、社会福祉プログラムの削除によって、カウセリングも受けられなくなる、
世界です。
貧困層がデモを起こし、自分達の存在をアピールする中、富裕層が映画を楽しんでいる、
世界です。
そして、富裕層は自分の部下が殺されて初めてアーサー(貧困層)の存在に気づきますが、その時にはアーサー(貧困層)は卑怯者、悪として見られるのです。
僕たちもネットやテレビを通じて殺人事件・テロ事件を少なからず目で見ているわけですが、殺人、テロを起こす人は”頭がおかしいからだ(化け物)”の一言で片ずけているのではないでしょうか。
ただ、世の中にはアーサーのように辛い状況にいる人は絶対にいるんですよ。
それを考えた時に、
人一倍優しかったアーサー(正義)が、人を恐怖に落とし込むという真逆の存在(悪)に変わるのであれば、どんな善人でもジョーカー(狂気)になる可能性があるのではないか、ということが分かりますよね。
それが僕たちが身近に見る殺人事件であったり、テロ事件なのかもしれません。
また、アーサーは母(ペニー)に言われた言葉「どんな時も笑顔で」、そして母を世話するために人を笑かすコメディアンを目指すも、一方で富裕層はそれを見て笑う立場にあり、
アーサーは笑いたくもないのに、笑ってしまう病気を持っている、
それを周りから変な目で見られ、笑い者にされるという、
貧困層と富裕層の立場を「笑い」という一つの表現で綺麗に描いているなー、と思いました。
また、富裕層が貧困層を一方的にいじめている社会。そして貧困層には逃げ道が無く、どんどん追い込まれた挙句、助けを訴えたところで目も当ててもらえず、罪を犯した貧困層の存在に気づいた頃には卑怯者呼ばわりをする富裕層こそが真の悪なのではないか、
と何が本当の悪で、正義なのかを考えさせられます。
これについては、今の現代社会と少し似ている所がありますよね。
悲劇とは喜劇になり得るもの
アーサーは人殺しを繰り返す中、
「俺の人生は悲劇だ いや違う 喜劇だ」
と言っています。
まだアーサーが優しかった頃、あの時はアーサーにとって本当に悲劇だったのか(?)
アーサーがジョーカーへと変化を遂げることで、彼にとっての人生は悲劇から喜劇に変わったのです。
これは何を意味しているのでしょうか?
それは、こんなにも辛い日々を耐えて耐えて人生を終えるアーサーになるくらいだったら、
復讐(人殺し)をしてでも(本当の化け物になってでも)、貧困層からは正義と崇められ光り輝くことができたのだから喜劇じゃないか、と解釈しているのかもしれませんね。
笑いに隠れた涙
僕はアーサーの笑いの背景には”涙”が隠れているのではないのかなと思いました。
アーサーには発作的に笑い出すという病気があるのは前提なのですが、その上で何か自分に悲しいことや辛いことが起こった時にも、アーサーはよく笑っているような気がしました。
それは「表では笑っているけど、心の中では泣いているんだよ。」と伝えたかったのかもしれません。
バスの中で小さな子供を笑顔にしようとすれば、「かまわないで。」と言われた直後に、アーサーは笑っています。
電車の中で1人の女性が証券マン3人に絡まれるのを見て、アーサーは笑っています。
(この時のアーサーの顔の表情は女性に謝っているような圧巻の演技力でした。)
アーサーは本当に辛いのに、泣きたいのに笑ってしまうんですよね。(涙)
母(ペニー)を「イかれた女だ」とトーマスに言われた時、アーサーは笑っています。
そして、この発作的に笑い出してしまう病気が過去に受けていた虐待から来るものであり、ストーブに縛られたり、過度の暴力を受けたり、アーサーが泣いている時には、泣くことを許されず、笑うことを強要されて育ったからではないでしょうか。
本編でもあったように、アーサーは生まれつき笑ってしまう病気なんて持っていなくて、過度な虐待によって染み付いてしまったものかもしれません。
アーサーは涙が出ているのにも関わらず、自分の手を使ってスマイルを作るシーンがあります。
これは、アーサーにとって
笑う=悲しみ=涙
という意味なのかもしれません。
世の中はどうですか?
映画のゴッサムシティでは人の温かみをまるで感じませんでした。
では、今の現代社会に人間の温かみがあると言えるでしょうか。
ネット上では相手の傷つくようなコメントが溢れ返り、コンビニやレストランの店員さんに罵声を上げる人々、情報弱者を対象にしてお金稼ぎをしている人々・・・
僕たちの身の回りにも少なからず、こういった人達が存在しているのです。
ラストシーン
最後のシーン、アーサーの放った「ジョークを思いついたんだ。」の一言で、これまで視聴者が見せられてきた映像は全てジョーカーの妄想(ジョーク)であったのではないか、という展開になります。
僕はそんなジョークをこのように解釈しました。
これまで僕たちが見てきた悲劇はまだ起きていないんだよ、ジョークで済んだんだよ。だからね、このジョーク(妄想)が実現してしまう前に、まだ今からでも遅くないから、こんな悲劇が起こる前にどうすれば、何ができるのかを自分たちで考えてね。
とメッセージを送っているのかなー、と思いました。
最後に
この記事を最後まで読んでくれた方は自分の周りにいる身近な存在を大切にしてください。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
ちなみに僕の隣で鑑賞していた方の第一声の感想は、「IMAXすげー!!!!」でした。
・・・というオチです。笑